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万博ラテン小ねた


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ビバ! メキシコ館
“EXPO2005 愛・地球博”で「メキシコ館」の建設・運営に携わった伊藤勇さんが当時を振り返り、メキシコ人と日本人の狭間で身を粉にして働いた日々の出来事や今だから笑えるスタッフの珍事件など全10話を紹介します。


伊藤勇 さん
上智大学イスパニア学部卒業後、JETRO、商社マン、銀行マンとして日本・スペイン・メキシコの3ヶ国で勤務。1994年メキシコ開発銀行兼大使館財務部勤務後、外務省傘下の愛知万博組織委員会に所属。2004年11月から約1年間「EXPO2005 愛・地球博」のメキシコ館の運営に携わる。2006年6月よりメキシコ大使館勤務。
「日本が話せるのは、たったの3人」

メキシコ館の主な運営スタッフは外務省傘下の国際会議運営委員会から派遣された約35名で、出身は政府機関、民間企業、大学新卒者と様々でした。日本採用だった私は、主にメキシコ現地の建築関係機関と日本の施工会社との間でパビリオンの建築・解体に携わる他、メキシコから来日した政府要人や舞踊団のお世話、地元自治体や博覧会協会 *1が主催する会議の通訳、メキシコ館の経理などを担当しました。ちなみに、メキシコ館の運営スタッフで日本語が話せたのは、メキシコから派遣された日系人2人と私を含めると3人だけでした。そのため日本語が必要な業務になると私達3人はいつも借り出され、1人が休みを取ると残りの2人にドットしわ寄せがきます。なかなか好きな時に休めないというのが現状でした。

*1「EXPO2005 愛・地球博」を主催・運営する日本の機関


 
来日した舞踊団の宿泊の手配をするのはホテル・観光業界出身のメキシコ人スタッフ。でも誰1人と日本語が話せず結局私が担当する羽目に。
  メキシコからやってきた大道芸グループ
「コルニサ20」の3人組は世界各国で活躍
する人気者です。

 

  「伝わらないメキシコ館のイメージ」

メキシコの愛知万博組織委員会は、今回の万博のテーマだった「自然の叡智」に沿って、自然と文化に溢れた“本物のメキシコ”を日本で再現することに務めました。しかし実際パビリオンの建築と内装に携わるのは日本人業者なので、なかなかメキシコ人の意図するメキシコ館のイメージが伝わりません。2国間の打ち合わせ会議は「意見」というより「異見」のぶつかり合いで、延々と朝まで続くのでした。このままでは開幕日前の土壇場で徹夜作業になってしまうのではないかと危惧した私たちスタッフは、ある打診策を提案しました。それは、日本人業者に設計図面を見せるだけではなく、メキシコの地理や自然、動植物が映っているDVDを見せてまずは自然豊かなメキシコという国について知ってもらうことでした。こうすることで国のイメージを掴んでもらい、メキシコ人建築デザイナーが制作したパビリオンの完成画像と照らし合わせたのです。メキシコ館は他のパビリオンと比較すると工事の進み具合は早い方ではありませんでしたが、こうした試行錯誤を積み重ねながら1日1日を乗り越え、開幕日までに無事完成を迎える事ができました。



 
池のほとりにそびえ立つメキシコ館は
展示館とレストランで構成されている。
  夜ライトアップされると白い布に隠された
ジャガーやサボテンなどの写真が浮かび
上がるしくみ。

  「5千匹のチョウを吊るす」

メキシコ館ではエントランス付近にサボテンを展示していました。当初このサボテンはメキシコから空輸する予定でしたが、日本の通関と検疫で相当な時間を要することを考えると、2月には到着していないと開幕日までに間に合わないことが判りました。しかし、一番寒い冬の季節に到着してもサボテンが枯れないように保管場所が必要ですし、その費用もかかります。そこでメキシコからサボテンを運ぶことを断念して日本で購入できるところを探すことになりました。そこで見つけたのが愛知県犬山市にあるサボテン園です。私たちメキシコ館スタッフが足繁く通い、約150本のサボテンを購入することができました。また館内には、蝶のレプリカ5千匹や枯葉を使ったオブジェを展示していましたが、これらもスタッフ総出で裏の山まで枯葉を集めに行ったり、5千匹のチョウを吊るす作業を行いました。まるで学生の時に体験した学園祭前夜のような興奮を覚えながら開幕前の最後の仕上げを行ったことを昨日の事のように覚えています。



 
自然や生き物を展示や映像で紹介した
館内は神秘的でアートな雰囲気を醸し
出しています。
  メキシコとアメリカ間を約2万キロも移動
する蝶「オオカバマダラ」5千匹。


  「警察に保護されたメキシコ人スタッフ」

早朝7時に私が住むアパートに1本の電話が入りました。「メキシコ館の若いスタッフを保護しているので至急引き取りに来て欲しい」という警察からの電話でした。すぐにメキシコ館の館長に連絡を取って駆けつけてみると、なんと我が館のスタッフが警察署内に用意された寝袋の上でいびきをかきながら寝ているではありませんか!話によると、彼は1人で万博会場近くの居酒屋に入ったそうですが、その店のオーナーとテキーラの飲み比べをして酔っ払い、そのままカウンターに寝込んでしまったのです。そこで、困ったオーナーが警察に電話をして引き取りに来てもらったということでした。彼は100キロを越す巨体だったので警察も運ぶのに苦労したそうです。私と館長は2人で彼を車の中に運び込みスタッフの住むアパートまで送っていきました。もちろんその道中も、彼はずっと眠ったままでした。



  「“日本の運転免許を取得させる”任務」

メキシコで発行された国際免許を使ってレンタカーを借りたスタッフが日本で交通事故を起こしました。その場合、通常なら保険が適用されるのですが、メキシコは運転免許証にかかわる国際協定に署名していないため、修理代が支払われなかったのです。そこでその翌日から私に新たな任務が課せられました。それは、約10名のメキシコ人スタッフを運転試験場に連れて行って、日本の運転免許を取得させることでした。試験科目は実施試験のみでしたが、私を一番悩ませたのは彼らがなかなか合格してくれないことでした。午前に行われる試験の結果は午後に発表されるのですが、午後になるとまた他のスタッフの試験に付き添わなければなりません。午後の試験結果は夕方発表されるので、ほぼ1日試験会場で過ごす日もありました。ちなみに、1回で合格したのは1人だけで、平均3、4回かかりました。1番手がかかったのは7回目にやっと合格したスタッフです。彼が免許を取得できた時はもう万博の閉幕日近くになっていました。



  「毎日パソコンとにらめっこ」

万博会場は、免税・保税地域だったので、メキシコ館の建設・運営・解体の支払いに含まれる消費税は還付の対象になっていました。そこで、メキシコ館が地元業者に支払った金額やメキシコから来日した舞踊団などが名古屋で消費した金額を3ヶ月毎に集計するのも私の仕事でした。皆から集めた領収書を見ながら、エクセルシートに1件ごとローマ字で、購入品、店名、金額を記入していましたが、中には立ち食いラーメン屋の自販機で購入したような汚れた食券もあり、読み取るのに苦労しました。コンビ二で購入した100円以下の小物から数千万円もする建設工事費まで全てを入力するのに、半年間毎日パソコンとにらめっこしていました。



  「ナショナルデー前夜は徹夜で準備」

「EXPO2005 愛・地球博」では今回の万博に参加した121ヶ国々が自国の文化を紹介する「ナショナルデー」というイベントが国ごとに行われていました。メキシコ館のナショナルデーはメキシコの独立記念日と同じ9月15日でした。この日会場内のEXPOドームで行われたイベントでは、メキシコから来日したハリスコ州民族舞踊団がアメリカ国際マリアッチ楽団の演奏にあわせて華麗な伝統舞踊を披露。また、人気歌手で女優でもあるスサナ・サバレタさんも登場し、観客席のメキシコ人も一緒に踊りだすほど会場は盛り上がりました。そんな元気なメキシコ人とは対照的に、メキシコ館のスタッフたちはこの頃、疲労と緊張がピークに達していたのではないでしょうか。ナショナルデー前日は、メキシコから出席される大臣のスケジュールやイベントの準備に関して夜遅くまで打ち合わせ会議がありました。その後、招待客に配るプレゼント5千個の袋詰め作業が深夜2時まで続きす。本番当日の朝、私は名古屋市内のホテルに宿泊されている賓客を迎えに行かなければならないので、朝寝坊は禁物です。朝6時からスサナ・サバレタさんのリハーサルにつきあうスタッフもいました。皆の激務はナショナルデーの全工程が終わる夜の10時まで延々と続くのでした。



 
煌びやかな衣装をまとった
「ハリスコ州民族舞踊団」の華やかな踊りは
会場を一気に盛り上げます。
  メキシコの国旗を片手に観客席のメキシコ人
も一緒になって歌い、踊っています。

  「教会の鐘で、ビバ・メヒコ」

メキシコでは独立記念日の夜に教会の鐘を鳴らし、広場に集まった民衆を前に神父が「ビバ・メヒコ」(メキシコ万歳)と叫び独立を祝うのが慣わしです。そこでメキシコ館では、このイベントをナショナルデーの夕方から始まるレセプションパーティで行うことになりました。早速私は“教会の鐘に似た物”を探すためインターネットで検索してみたら、イタリアからの輸入品会社で鐘を販売しているところを見つけました。すぐに電話をかけて在庫があることを確認すると、今度は鐘を数回鳴らしてみるように頼みました。私は受話器を館長に渡して音を聞いてもらったのですが、その響き具合に納得した彼はその場で購入を決めました。さて、本番のレセプションパーティでこの鐘を鳴らしたのは、この日の為にメキシコから来訪された「環境・天然資源相」のホセ・ルイス・ルエヘ・タマルゴ氏です。鐘の音が鳴り響くとメキシコ館内は「ビバ・メヒコ」の合唱と歓喜に包まれ、本場さながらの独立記念日を祝うことができました。ちなみに鐘のお値段は1500円でした。



 
1500円で購入した“教会の鐘”を鳴らす
ホセ・ルイス・ルエヘ・タマルゴ氏。
  招待客400名に加え、飛び入り客でごったがえす
メキシコ館。厨房で用意された料理もテキラーも
全て出尽くしてしまいました。

  「チームプレイの難しさ」

今回の万博で一緒に仕事をしたメキシコ人は職場で組織の一員として行動することが不得意でした。例えば、館長がある用件をスタッフ全員に伝えないといけない場合でも、まずは親しい部下だけに個人的に伝えるので、全員に伝わった時には既にその用件が済んでいたというような事が何度もありました。個人主義の強い国だけあって、チームプレイが要求される組織下では、どうしたら集団で効率的に動けるのか意識していないように見えました。メキシコ本部と名古屋のオフィスはパソコン電話で連絡できるように通信設備を整えているにもかかわらず、それらが仕事で使われることはあまりありませんでした。それよりは、スタッフのおしゃべり用電話に利用され、むしろ仕事の効率を妨げてた感は否めません。



  「メキシコ人と日本人から学んだこと」

メキシコ館の建築においては、全くメキシコを知らない日本人と、全く日本を知らないメキシコ人が共同で仕事をするわけですから、予想外のところで衝突が起こります。私自身は長年日本やメキシコでの勤務経験があった為、どちらの環境も違和感なく受け入れていたのですが、衝突を目の当たりにする事で改めて、日本人とメキシコ人の仕事に対する考え方の違いを再認識するようになりました。 基本的にメキシコ人にとって仕事はあくまでも人生を楽しく生きるための1つの手段であり、労働の中にも一種の喜びを見つけようとします。日本人から見ると無駄で効率が悪いことも、効率を時間で図るような習慣もありません。ですから、今回の万博においてメキシコ人は、与えられたスペースで本物のメキシコを実現することに尽力するのですが、彼らの想像性や独創性は時間という観念を度外視したところから生まれていました。一方、時間をかけて丁寧に仕上げていく日本の業者からはいつも決断を迫られているという状況でした。
しかし、パビリオンも完成して万博が始まったとき、こんなことがありました。それは会期中にメキシコ館のある展示品のデザインを修正することになり、私は日本の業者に見積もりを取ったのですが、そこでは工事期間が1ヶ月近くかかり、予算をはるかに上回る金額が出されたのです。最終的にはメキシコから業者を呼び寄せて工事に取りかかったのですが、メキシコの業者は1週間弱で工事を終わらせ、しかも費用も予算内で十分収めることができたのです。
つまりメキシコ人は、自分たちの創りたいものの構想をじっくり時間を費やして練り上げ、それが出来上がると後は寸法・形状などを念頭に置き、創造力に任せて一気に仕上げるというやり方でした。そして時間をかける仕事とそうでないものとを臨機応変に使いわけていました。しかし、日本の場合は、最初から最後まで徹底的にマニュアルに従おうとする姿勢があります。一寸の違いも出ないように正確に設計し、施工するので時間もお金もかかるのです。精密機械の生産なら精度の高い製品ができそうですが、半年間だけの展示物は正確さよりもどう見せるかという創造性や芸術性の方が重要視されたのです。この工事の仕上がりを見た日本の業者は「我々ももう少し柔軟性を持つことが必要ですねえ」と自己反省。私はこの1年間を通じて、常に日本人の持つ几帳面さ・正確さとメキシコ人の持つ創造性・おおらかさを持ち合わせることが肝心だと改めて学びました。

  文:伊藤勇
  写真提供:イシドロ・ラミレス(EFE通信社)、メキシコ館
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