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万博ラテン小ねた


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スペイン館 「儀典部」 です。

万博開催中、スペイン館には世界中から皇室や首相、大臣など政府要人が訪れました。これを準備しおもてなしする部署がスペイン館「儀典部」です。 一見華やかそうなイメージですが、実際は・・・。“儀典”という初めて携わる分野に、時に涙しながらも半年間の職務を全うした田部井美雪さんが、当時を振り返り思い出のエピソードを語ってくれます。
 

 

田部井美雪 さん
大学卒業後6年間のOL生活を経てメキシコへ。1年3ヶ月間語学学校に通ったのち、日系自動車部品製造メーカーで約2年間キーパンチャーとして、その後1年半は別の自動車部品会社で社内通訳として勤務。2005年3月より「2005年愛・地球博」のスペイン館儀典部に勤務しました。
 
「日本で万博があることを知らなかった私」

5年半のメキシコ生活と5ヶ月のスペイン生活を終えて日本に戻った2005年1月、長い間音信普通だった友人から私の元に一通のメールが届きました。「美雪さん、今どこにいるのですか?僕は愛知万博で働くことになりました」というような内容でした。突然の便りに驚くと同時に、私はこの時はじめて日本で万博が開催されることを知りました。早速日本に帰国したことを伝えると、数週間後その友人から「いまスペイン館で欠員募集をしているので連絡してみたら?」とスペイン館副館長のメールアドレスを送ってくれました。これから就職先を探そうとしていた矢先の出来事でした。これは何かの縁と思った私はすぐに履歴書を送り、その数日後面接のため実家のある群馬県から愛知県まで夜行バスで向かいました。

欠員スタッフの応募者は私を含めて3名いました。面接官は、スペイン人の館長と副館長、二人の日本人スタッフでした。スペイン語で簡単な自己紹介をさせられた後、館長からスペイン語で志望動機やスペインで生活していた5ヶ月間の事などについて質問されました。その後、日本人スタッフから日本語と英語でこれまでの経歴について質問され、それぞれの言語で答えました。私は約6年間スペイン語の世界に住んでいましたが、そのほとんどがメキシコだったのでスペインのスペイン語にはあまり慣れていませんでした。また、英語は旅行会話が出来る程度です。自分の語学力では勝負できそうになかったので、“仕事は人だ”という信念のもと、大きな声でハキハキと答えるように心がけました。また、面接終了後に「ハイテクの利点と弊害」に関する和文西訳試験がありました。以前、通信教育でスペイン語翻訳の勉強をしていたことが多少役に立ったかも知れませんが、辞書もなければ、時間も足りず全く自信はありませんでした。

ただひとつだけ確かなことは、私はこの面接試験をとても楽しめたということです。結果がどうであれ構わないという程、すがすがしい気分で面接を終えたことを覚えています。その思い切りのよさが功を奏したのか、しばらくしてめでたく私の元に採用の電話がかかってきました。私が配属されたのは「儀典部」という部署でした。二人のスペイン人上司の下で日本人の私が日本語・スペイン語・英語を駆使して働く「トリリンガルアシスタント/3ヶ国語アシスタント」という役職を与えられました。スペインから帰国して1ヶ月程で、今度は見ず知らずの土地、愛知県での万博生活が急遽始まったのでした。

 

  「スペイン館のスタッフ構成」

スペイン館のスタッフは、お客様の案内をする「アテンダントスタッフ」とスペイン館の運営をする「管理・統括スタッフ」に分かれていました。1Fのパビリオンでお客様の案内をしていたのがアテンダントスタッフです。一般の女性アテンダントの制服は、スペイン館の外観の模様がプリントされた色鮮やかなシャツとスカートに黄色のジャケットを、またVIPのお世話に専従するVIPアテンダントは、同じ模様のシャツに茶色のスカートと赤のジャケットを着用していました。彼女たちはスペイン館のホームページに掲載されていた募集広告やリクルート雑誌を見て応募した人など様々ですが、噂によると 「この番号に電話すれば、スペイン館で仕事ができるらしい」とスペイン館副館長の携帯電話番号が巷に出回っていたとか。真偽の程は定かではありませんが、多くの外国パビリオンがアテンダントの募集をしていたその当時、スペイン館はとても人気が高く、おまけに可愛い制服が着られるということで、採用の競争率もかなり高かったそうです。

また私が所属していた2階の「管理・統括スタッフ」のオフィスは、「政府代表付き秘書」、「総裁部」、「儀典部」、「パビリオン部」、「プロジェクト部」、「経理部」、「広報部」、「ゼネラルディレクション部」などの部署で構成されていました。ここで働いていた約22名のスペイン人スタッフは万博を運営するスペインの政府機関SEEl *1(Sociedad Estatal para Exposiciones Internacionales,S.A.)から派遣された方々でした。

ちなみにこれらのスペイン人で日本語が話せたのは、日本での勤務経験がある館長とプロジェクト副部長、日本人の配偶者を持つ副館長、日本の大学へ留学していたことのある儀典副部長の4名だけでした。そのため、各部署に日本人のトリリンガルアシスタントが配属されたのです。トリリンガルアシスタントの中には、スペイン語も英語も堪能で、スペイン語が母国語という人も沢山いました。そんな有能な同僚たちに囲まれて働く訳ですから最初は不安でいっぱいでしたが、万博が始まってからは日々の仕事に追われ、目の前の事を一つ一つこなすことで精一杯でした。“儀典”という初めての分野の仕事で分からない事ばかりでしたが、体当たりで覚えるしか術はありませんでした。

  *1 SEEI(Sociedad Estatal para Exposiciones Internacionales,S.A.)は、
国際博覧会においてスペインの出展を企画、運営する目的で設立されたスペインの公的機関。


   
「VIPアテンダント」は赤のジャケットと茶色のスカートを着用。スペイン館の入り口でVIPの方が到着するのを待っています。
 

  「スペイン館を訪問した世界のVIPたち」

私が所属していたスペイン館儀典部は、「儀典部長」「儀典副部長」「アシスタント」の3名で構成されていました。儀典部長は長身に口ひげをたくわえ、女性に優しい紳士的なカルロス・アルゲージェス氏です。スペインの王宮儀典に長年勤務し、現スペイン国王に随行して日本訪問を果たした経験を持つ彼は儀典に関してはプロ中のプロでした。また黒髪に黒い瞳が印象的な儀典副部長のモンセラット・アルバロさんは、華奢な体ながらバイタリティあふれる女性で、英語、フランス語、日本語が堪能でした。彼女も私と同様、儀典の分野では初心者でしたが、上智大学に留学して学んだ日本語が買われSEEIにスカウトされて来日しました。そして、この二人の下で日本人の私が働いていました。

私たちの主な仕事はスペイン館に来館される首相や大臣、政府要人などVIPの接待です。スペイン館に来られるVIPには3つのルートがあります。1つは、スペイン館のお客様です。例えばスペイン館が主催するイベントに本国から来られたり、スペイン館と親交の深い日本人などが来館される場合です。2つ目は、今回の万博を運営する日本の機関である「日本国際博覧会協会」のお客様です。当協会の来客は万博会場に来られた時、いくつかのパビリオンを訪問されるのですが、スペイン館を訪問したいという希望が出された時に、「日本国際博覧会協会」の「儀典室」を通してスペイン館に来館の依頼が入ります。3つ目は、各パビリオンのVIPです。例えば、外国館にその国のVIPが来られ、その方がスペイン館も訪問したいという要望が出された時に、外国館の広報部や儀典部を通じて私たちの所に依頼が入りました。

会期中にスペイン館に来館された方で特に印象に残っている方は、スペイン人ではフェリペ皇太子夫妻、アルバ公爵夫人、スペイン外務経済協力大臣のミゲル・アンヘル・モラティノス氏、マドリッド州知事のエスペランサ・アギレ女史、スペイン館の設計を担当した建築家アレハンドロ・サエラ氏などです。また、日本人では皇太子殿下、高円宮妃殿下、(三笠宮)寛仁親王殿下親王、トヨタ自動車名誉会長・博覧会協会会長の豊田章一郎氏、日本国際博覧会協会事務総長の坂本春生氏、女優で日本館総館長の竹下恵子さん、故橋本龍太郎元首相、スペイン館とフレンドシップ事業 *2を行っていた愛知県清洲町の花木和彦町長、外国人ではポルトガル大統領、モロッコ王妃、メキシコ環境大臣、リトアニア首相などです。VIPの訪問は万博が終わりに近づくにつれ多くなり、多い時には1日に30組ほど予約が入りました。

また予約以外にも、突然「いまから訪問したい!」という依頼もあったので、万博会期中の半年間はゆっくりお昼休みを取る暇もありませんでした。世界のVIPを相手に仕事をする「儀典部」と聞けば、多くの人は華やかな世界をイメージされますが、実際私たちの仕事はVIPの周りで駆けずり回り、事前に決めたスケジュールが本番の日にどんどん変更されていく中でハラハラしながらその対応に追われる毎日でした。半年間私は失敗の連続で泣いてばかりいましたが、「儀典部」のスタッフに必要な能力を挙げるとすれば、どんなトラブルにも臨機応変に対処できる機転の速さ、無理難題に笑って答えられるタフな精神、そして何よりも体力かも知れません。

〜 つづく 〜

  *2 フレンドシップ事業:愛知県内の市町村が、
愛知万博の参加国とペアになって国際交流を図る試み。


 
スペイン館を訪問された故橋本元首相。案内役は、館長マウリシオ・ガルシア氏(右)と儀典部長カルロス・アルゲージェス氏(左から2番目)。
  愛知県清洲町の花木和彦町長(後左から2番目)や
スペイン・エストレマドゥーラ州のサンチェス副知事(前方)らが
参加して、2都市の交流の記念として桜の植樹を行いました。




  文:田部井美雪
  写真提供:スペイン館
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