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江口尚子さん (40歳・女性・バルセロナ在住16年)
  滞在地:バルセロナ/スペイン
滞在期間:1988年〜(現在も在住)
現在:通訳・翻訳業

 

 

スペインとスペイン語との出会いについて教えて下さい。

私は神奈川大学でスペイン語を専攻しました。4年生の時に、大学で募った1ヶ月のサラマンカ大学夏季集中語学コースに参加したのがきっかけです。


日本の大学卒業後、スペインのどこの大学で学びましたか?

大学卒業から2年後の1988年、バリャドリ大学言語学部外国人用スペイン語コースに留学しました。同年9月に、念願のバルセロナ大学の美術史学科で1年間の聴講生を経て、翌年同コースに学部入学しました。その後、94年にバルセロナ大学で言語教育学のポストグラドュエートコース、96年に言語文学部・外国語としてのスペイン語教師養成修士課程、98年に言語文学部・言語文学教育学博士課程課程を履修しました。


バルセロナ大学言語文学部(修士・博士)への入学方法や授業内容
について教えて下さい。

修士課程ではスペイン語の教授法を専攻したので、コースワーク(科目履修を中心とした学習形態)で必要だった言語はほとんど英語とスペイン語の2ヵ国でした。ただ、論文やレポートを書く際に、フランス語の書物や記事もかなり読みました。ここでは、フランス語も英語と同様に必修外国語と考えられています。入学は簡単でした。教授との面接と書類選考です。すでにスペインの国立大学で通常の履修をしていたので、特に難しい手続きはありませんでした。

博士課程では言語文学教授法を専攻しました。コースワークは全てカタルーニャ語でした。書物類は英語、フランス語、カタルーニャ語で書かれたものを読みました。修士論文と博士論文は提出しておりませんが、フィールドワーク(独自の研究・調査)でビデオ撮影やアンケート調査などは終わらせました。いずれ、時間ができた際に提出したいと考えています。


大学院では、ヨーロッパ人と言語力の面で差がありますか?

1ヵ国の言語しかない島国日本と国境を持つ大陸の国での「言語」に対する考え方は全く違います。少なくともここカタルーニャ地域は、スペイン語とカタルーニャ語の2ヵ国語併用地域です。一般人でも2ヵ国、ちょっと語学に長けていれば6ヵ国語ぐらいは話します。大学院にやって来る連中はそんな人たちです。でも、世の中にはその手の人たちがゴロゴロいます。そんな中にいると、日本人でも少なくとも4ヵ国語から5ヵ国語の能力を求められます。もちろん、スペイン、カタルーニャ、バルセロナとどんなかかわり合い方をしているかにもよりますが、外野にいるか内野にいるかはその人次第でしょう。


日本へ帰国せずに、スペインに滞在しようと思った理由を教えて下さい。

当時バルセロナは、92年の「バルセロナオリンピック」を控えていたので、日系企業の投資ブームの年でもありました。この頃から、まだまだスペイン語学習者として未熟であった私にも、スペイン語の技術通訳と翻訳の仕事がひっきりなしにくるようになりました。これが、私の通訳・翻訳業で生計を立てるようになった始まりでした。

そして、仕事でも勉強でも人間関係でもかつて経験したことがないほど充実していたためか、生活は面白くてしょうがありませんでした。確かに、ある程度までスペイン語の習得に区切りが付いたら日本に帰るつもりでいたのですが、いつまで経っても自分で満足できるスペイン語の習得ができていないということ、スペイン語を使った仕事が切れることがなかったことなどで帰国が長引いていたのが現実です。

また、日本でスペイン語が仕事になるのは、当時東京だけであったことも、私を日本から遠のかせた理由です。九州出身の私は、地方の「質の高い生活」をすでに意識していたので、スペイン語を使った仕事をするという理由だけで東京に戻れなかったのです。いつしか私の生活のプライオリティは、「質のある生活をしながら、ずっと勉強してきたスペイン語を使えて、経済的に独立できていること」になったのです。生活の場について考えることは二の次で、日本でもスペインでもアメリカでもメキシコでもどこでも良かったのです。

とは言っても、夏の1ヶ月のバカンスは必ず日本に帰っていますし、家族もよくここに遊びに来ます。仕事相手はほとんど日系企業や政府関係だったので、あまり日本に帰ることに対して切羽詰まった気持ちはありませんでした。同時に、私が夢を実現できたのは、子供の頃から家族の最大限の協力があったことは否めません。その点では、恵まれた環境で育てられたと思っています。仕事の面から見ても、これだけ充実した時間が持てたということは、スペインに住んでいるおかげだと確信しています。スペイン語を大学で専攻して以来、一貫してその専門知識を活かした生活が何よりも代えがたかったのです。


労働ビザの取得方法について教えて下さい。

スペインで労働ビザを取得したのは91年頃です。すでに少しばかりの経験を積んでいたので、日本語-スペイン語の工業関係の通訳・翻訳業を始めました。スペインをはじめヨーロッパ諸国で、外国人労働者がビザを取得する際には、居住を許可するだけの意味や能力があるかどうかということが最大の審査ポイントとなります。「専門分野があること」、「日本人でなければできないこと」という条件を満たしていなければ労働ビザは取得できません。

当時、バルセロナオリンピック直前であったため、「外国人不法就労者にビザ取得の恩赦」が与えられました。運良く、私もその恩恵に預かったのです。さらに、当時持っていた学生ビザからの書き換えであったため、困難もなく3ヵ月で労働ビザが取得できたように覚えています。


ビザ取得で苦労した点はありましたか?

苦労した点というのは、言い始めればきりがありません。申請書類を提出しに行ったら3時間待ちの行列。待った挙げ句、2時の昼食時間ということで目の前でバタンと扉を閉められ、「来週また来い」とか・・・。そんな事が日常茶飯事だったので呆れてモノも言えない日々でした。怒ってもしょうがないのです。それに、性格的に愚痴をこぼすタイプではないので、いつの間にか苦労した事など忘れてしまいました。確かに嫌なことが50%でも良いことが50%あるので、ちょうどバランスがとれてチャラになりいつも新鮮な気持ちでいることができたのです。


スペインでは、どのような仕事がありますか?

ものすごくカッコイイ言い方をすると、私の場合ここ16年間、仕事の方から来てくれていたという感じがします。この国では如何なる種類の仕事であっても、何らかの「専門分野」を持っているということが唯一最大の武器です。当然、何度もピンチはありましたが、必ず信頼してくださる方がいて、スペイン、ラテンアメリカ、日本などで仕事が続けられている状況です。


スペインに住んでいて日本の企業から仕事を依頼されることはありますか?

スペイン現地、在ヨーロッパ、在ラテンアメリカ、在日の日系企業との仕事は多いです。やはり、大学時代のネットワーク、スペイン語圏のネットワーク、今までの仕事の評価の結果だと思います。


主にどんなジャンルの仕事をやってきましたか?
どんな仕事の内容でも引き受けられる自信は何年目位から出てきますか?

工業系、農業系など、専門分野の仕事を主にやってきました。基本的にどんなジャンルでもこなします。どんな仕事でも引き受けられる自信はありません。でも、結果的に将来のためになると思えば、どんな仕事でも引き受けます。市場の狭いスペイン語の通訳・翻訳業の場合、ジャンルを限っていたら明日の生活が成り立ちません。サバイバルのためには何でも勉強しましたし、どんな辞書でも取り寄せました。ある程度辞書への投資が終わったあたりから、仕事のジャンルを広げるようにしていきました。時期的には、ビザを取得した91年位から、「これで食う」というプロの意識が出てきました。

まだまだ年齢的に若かったら、自動車関係をやりながらファッションにも法律関係にも手を出し、投資の話も最先端のITも分かり、犯罪からサッカー関係まで翻訳しているなんていうのは普通でしょう。


スペイン人と共に仕事をしていて問題点はありますか?
日本人との違いなどがあれば教えて下さい。

スペイン人に限らず、日本人でも人種国籍文化に関係なく、視野の狭い方々と一緒に仕事をするのは至難の業です。自分と違うものを持っている人々と一緒に仕事や生活をすることは、常に「目」を開かせてくれるので刺激的で楽しいものです。

スペイン人は、さすがにレトリック(言語表現技術を持つ)の文化を持つだけあって、どんな状況でも弁が立ちます。そんな彼らの中では、無口で沈黙を美徳とする日本人の文化は何の意味も持ちません。スペイン人と対等にやっていくためには、彼らと同じぐらい弁が立たなければなりません。主張できて初めて存在を認められるのです。正直言って非常に疲れます。実は、毎日へとへとです・・・。

しかし、日本もスペインも同様に義理人情の国です。よき友人を得られれば、怖いものなしです。すべて、ここにキーがあるように思えてなりません。基本的な考え方がしっかりできていて、本質的なことを見極める事ができればいろんな場所で友人や協力者が得られます。全て人間性の問題です。

湿気を帯びた日本の文化と違い、カラッとしているスペイン文化の中では、よそ者でもプロに徹して仕事をしていると何でもやりやすいです。でも、彼らは人間の“メンタル”な部分を求めてきます。個人主義の国ですが、同じメンタルを持つ者同士の“連帯感”みたいなものがあって、それを相手に提示してくるのです。そこが同じでないと彼らの仲間に入れてくれません。それは、メールのやり取りをする相手を求めているのではなくて、彼らの中にある本質を見抜いて、それを評価して同調してくれる人を求めるのです。


バルセロナにピソを買うまでのエピソードを教えて下さい。

不動産価値が上がり始めた2000年頃、家でも買おうかと思いついて購入しました。日本の価格と比べものにならないほどでした。バルセロナの都心にある小さな66平米のピソなのですが、3年ほどで約2倍の価値になっていると聞きました。探し始めて約半年間で51件見て、50件目の物件を購入しました。当然、信頼できる友人のアドバイスのお陰です。スペイン人は住居を買う際、一生住む場所とは考えずに購入します。そして、大体5年ぐらいで不動産価値の上がった物権を売って更に大きな物件を買うという方法でグレードアップしていくのです。基本的に、どんな社会階級の人たちでも別荘を1件から2件持っている国なので、不動産価値の判定の仕方は日本人以上に優れています。

彼らに言わせると、まず自分で毎月無理をせずに払える金額を設定して、不動産業者や個人で売り買いをしているオーナーとコンタクトを取ります。そして、とにかく物件を多く見て目を肥やします。3件ぐらい見た当たりから自信がついてきて、自分の求めるものが非常に具体的になってきます。同時に不動産業者の営業マンのコメントをそのまま鵜呑みにしなくなります。何しろ初めての大金での買い物なので、自分の望むものと薦められるもののギャップをいかに処理するかがポイントです。根底になければならないものは、「絶対自分の気に入る自分のピソが現れる」という信念です。

物件が見つかったら、その日の内に不動産業者、もしくはオーナーに10万円ぐらいの手付金を支払って約1週間後に公証人の前で購買契約をします。その際に全額の支払いをします。同時に鍵の授受があるのです。外国人でもスペインの銀行からお金を借りることができます。その際必要なのが、労働居住許可証と数年分の年末調整書類です。この2つの書類で、収入のある税法上問題のない人間であることを証明するのです。


盗難の被害や病気になったときの保険について教えて下さい。

海外旅行保険は持っていないので、盗難にあった場合の保険はありません。でも、住宅保険の一部でカバーされる項目があったと思います。基本的に、盗難にあってもよいものしか持たずに外出するので心配ありません。これが最大の防御策です。

病気に関しては、居住許可書の取得と同時に社会保険への加入が義務付けられます。指定医療機関であれば薬代を除いて無料で診療、検査、手術が受けられます。また、毎月掛け金を払うプライベートの保険にも入っています。設備の新しいプライベートの病院での診療、検査、手術が無料になります。


バルセロナは外国人が住みやすい土地ですか?
外国人同士の交流はありますか?

外国人にとってもスペイン人にとっても最高の場所でしょう。気候はいい、食べ物は美味しい、文化はある。しかも、人は物分かりがいい。自由を愛する地中海文化の典型的な町で、人間性を否定するものは排除されます。

外国人の友人は沢山います。ヨーロッパ人、アジア人、南アメリカ人、北アメリカ人、アフリカ人などなど。ここは大昔から人種の交差点です。今でもいろいろな文化を持った人々が集まり、豊かに融合した文化を創り続けています。ただ、現地のカタルーニャ文化を無視してはなりません。現地の人々が排他的ではないので、外国から彼らに共感する人々が集まるのです。ここは文化的に非常に豊かなところです。


バルセロナの治安はどうですか?

残念ながら治安は良くありません。ご存知のように、先日(2004年3月11日)もマドリッドでテロがありました。今回はアルカイダの仕業でしたが、地元のテロも頻繁に起きます。その他、不法入国者による犯罪、「現代ならではの病気」による犯罪などです。昔から、すり、置き引き、ひったくり等はいくらでもありますが、この手のものは自分で注意していれば防げるものがほとんどです。


間貸している部屋のことについて教えて下さい。

お貸ししている部屋は、長期で勉強される方用に設計しました。作り付けの勉強机、大型タンス、ゆっくりお休み頂けるセミダブルベッド、セントラルヒーティングも付いてます。日本人女性ならではの冷え症でも安心できる充実のベッドリネンも揃えました。今までの私の経験から、部屋を借りる際に必要と思ったものばかりです。


そこに来た日本人とどのように過ごしていますか?

皆さんと長い間生活を共にしているので、1週間もしないうちに姉妹のようになってきます。スペインの生活のこと、スペイン語の学習のこと、日本に帰ってからの再就職のこと、将来のこと、ボーイフレンドのこと、家族のこと、日本のことなど、毎日話題が途絶えないほど話します。どの方とも大変楽しい共同生活をしていますが、お互いに成熟した人間同士でなければ成り立たない生活形態だと思います。「親しき仲にも礼儀あり」という暗黙の了解があって初めて成り立ちます。


毎日のスケジュールを教えて下さい。

毎日すごい量の行事があって朝から晩までフル回転です。月曜日から金曜日まで通勤に1時間かけて日系の自動車関連会社でインハウスの工業通訳・翻訳をしています。仕事が終われば、週2回は剣道の練習、週1回はフランス語のレッスンがあります。残りの時間は、自宅で翻訳やコーディネートの仕事をしたり、映画や展覧会、コンサート等に友人達と出かけます。連休があれば、近隣の国にいる友人に会いに行くこともあります。


スペインの良いところ、
スペインがあなたに教えてくれたことについて教えて下さい。

私には、日本の自分の出身地である町、家族、文化、方言などに対して誇りと自信がもてなければ、外国の本当の良さは理解できないという持論があります。自分のアイデンティティがしっかりした人々が住んでいる場所は、アイデンティティがしっかりした人しか受け入れてくれません。上辺だけのものが通用するのは、上辺だけのものしか評価できないところにいるからです。外国語で上辺のことだけしか話ができなければ、2度目のチャンスはありません。はっきり言って、それは面白くもなんともないですから。モノ文化よりも形而上学的な文化を教えてくれたのがスペインです。それは、私が23歳で日本を出るまで知らなかったことでした。それは私の人生において最高なことでした。


これからもスペインに住み続ける予定ですか?

一応そのつもりです。突発的に何か起こらない限りここにいるでしょう。


最後の質問です。
スペイン語が完璧に理解できるようになったと感じたのは何年目位ですか?

そんなこと、一生ありえないでしょう。いつまで経っても学習者のままです。

 
(インタビュー・2004年3月)

 

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