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エンリク・ベルナ
Enric Bernat
スペイン生まれの棒付きキャンディ「チュッパチュップス」の生みの親で「チュッパチュップス社」創業者
1923年10月23日-2003年12月27日

33歳で「グランハ・アストゥリアス社」の社長に就任

エンリケ・ベルナの祖父は19世紀中頃にスペインで初めてキャンディを製造・販売した菓子職人で父親はクッキー会社「La Gloria」(ラ・グロリア)の経営者でした。少年の頃から父親の会社で働いていたエンリケは高校生になるとチーズ会社で見習いを始め、経理、セールスマンを経験します。そして27歳の若さでシュガーアーモンドを製造する食品会社「Productos Bernat」(プロドゥクトス・ベルナ社)を設立しました。

ところがその4年後、大きな転機が訪れます。それはスペイン北部のアストゥリア州にある食品会社「グランハ・アストゥリアス社」の社長ドミンゴ・マサネット氏から当時経営難に陥っていた彼の会社の再生を依頼されたのです。2人が交わした契約は「グランハ・アストゥリアス社」を救い出すことができたら、収益と株の50%が与えられという条件でした。だがエンリケはわずか1年でその目的を達成し、ついにはその工場を買い取ります。そして1958年、エンリケが33歳の時に「グランハ・アストゥリアス社」の社長に就任しました。


棒付きキャンディのアイデアが生まれるまで

当時「グランハ・アストゥリアス社」はリンゴを原料にした約200種類の食品を生産していましたが、何か1つ目玉となる商品の開発を進めていました。この時エンリケは、キャンディの最大の消費者が子供だということ、子供はお菓子を手で口に入れたり出したりすることから、手を汚さずに食べられる“棒つきキャンディ”という商品を思いつきます。しかし当時の人々にとってそれは、キャンディをフォークで食べるようなものでした。エンリケは社内での理解が得られず、独断で「Chups」(チュップス)と名付けた新製品の開発に乗り出し特許を取得したのです。


日本では「チュッパチャップス」と呼んでいますが、
本場スペインでは「チュッパチュップス」が正しい商品名です。
1個15センティモス(日本円で約20円)。
ちなみに日本では1個40円。

 

商品名が「チュップス」から「チュッパチュップス」に

エンリケが力を入れたのは宣伝と流通でした。「Chups」のデザインが描かれたセアト車600台がスペイン中を駆け巡り通行人の注目を集めます。また、お店のショーウインドウに「Chups」を綺麗にディスプレイしたり、手に取りやすいようにレジの横に商品を置くのもエンリケのアイデアでした。また会社内で結成されたバンドグループが作曲したCMソングは繰り返しラジオで流され、「Chups」は急速に知名度を高めるのでした。

だがここで誰もが予期していなかった意外なことが起きます。それはCMソングの中の 「Chupa Chups(チュッパチュップス=「チュップスを舐めよう」という意味)」というキャッチコピーが人々に親しまれ、次第に「チュップス」は「チュッパチュプス」と呼ばれるようになったのです。こうして1961年、商品名が正式に「チュッパチュプス」となり、3年後の1964年「グランハ・アストゥリアス社」はエンリケの両親を株主に持つ「チュッパチュップス株式会社」となるのでした。

ダリが描いた「チュッパチュップス」のロゴ

バルセロナに工場を設立して世界進出を目指したエンリケにとって次に重要だったのは世界に通じるロゴでした。そこで画家サルバドール・ダリが住むバルセロナ北部に位置するフィゲラスに出向きロゴのデザインを依頼します。昼食の席でこの話を聞いたダリは早速目の前にあった紙ナプキンにデザインを描き、その場で海外輸出用のロゴができたと伝えられます。そしてエンリクの夢だった海外進出はフランスのバイヨンに工場設立という形で果たされました。60年代半ばにはアメリカのニューヨークに子会社が設立され、77年には日本でも発売が開始されました。また、ロシアの工場で製造された「チュッパチュップス」は、宇宙初の“棒つきキャンディ“として宇宙ステーション「ミール」の飛行士たちに愛されました。オーストラリアでは禁煙中の人々をターゲットに”チュッパチュップスを吸おう“というキャッチコピーで宣伝されました。


スペイン最南端の街「タリファ」で見つけた
チュッパチュップスのガチャガチャ。
1ユーロ入れてレバーを回すと
オモチャが入った丸いカプセルが出てきます。

 

多国籍企業に発展した90年代

1974年に特許が切れると多数の会社が“棒付きキャンディ”の製造に参入するようになりました。すると同じ商品名のキャンディが安い価格で市場に出回り、スペイン国内での販売が頭打ちになります。しかし、それとは対照的に輸出は飛躍的に伸びていました。80年代はアメリカ、ドイツ、イギリスに置かれていた事務所が会社として設立され、全世界で200億本の売上げを達成します。さらに90年代に入ると中国、ロシア、ブラジル、メキシコ市場にも進出し、チュッパチュップス社は多国籍企業に発展しました。また、事業の多角化を図るため保険会社「Iberia Seguros」(イベリア・セグロス社)を取得し、金融業界にも参入を果たしました。こうしてエンリケは1995年、カタルーニャ自治政府から「最優秀カタルーニャ企業家賞」を受賞するのでした。


エンリケからハビエルへ社長交代

2000年にチュッパチュップス社の売上げが4億5千万ユーロに達したのをピークに翌年から徐々に業績が悪化します。ちょうどその頃からエンリケは病床に伏し経営から退いていましたが、2003年12月27日、80歳で人生の幕を閉じました。妻ヌリア氏との間には5人の子供がいるが、3人は「チュッパチュプス社」に勤務、1人は保険会社「Iberia Seguros社」(イベリア・セグロス)、末の子は全く関係のない職に就いています。

現在「チュッパチュプス社」は息子のハビエル・ベルナが社長を務め、経営は家族の手を離れています。ハビエルは会社の負債を減らすため2003年より大幅なコストカットを目指し、一部の海外工場の閉鎖、従業員のリストラ、資産の売却などを行いました。その結果、会社の負債は減っているものの、ブラジル・中国の業績悪化が影響して2005年の売上げは2億6400万ユーロに留まりました。特に中国ではコピー商品が市場に溢れ企業に追い討ちをかけています。また、現在バルセロナにあるガウディ作の建築物「カサ・バトリョ」はベルナ家の所有物であるが、今後社有化などが懸案として残っています。

(レポート:2006年6月)


現社長ハビエル・ベルナ氏が所有する
ガウディ作の「カサ・バトリョ」。
もうすぐこの建物の中に、
レストランとお土産ショップがオープンします。
参考資料:
Cinco Días.com
Expansión.com
El País
EL MUNDO
翻訳:野村美菜子 編集:小岩れい
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