33歳で「グランハ・アストゥリアス社」の社長に就任
エンリケ・ベルナの祖父は19世紀中頃にスペインで初めてキャンディを製造・販売した菓子職人で父親はクッキー会社「La Gloria」(ラ・グロリア)の経営者でした。少年の頃から父親の会社で働いていたエンリケは高校生になるとチーズ会社で見習いを始め、経理、セールスマンを経験します。そして27歳の若さでシュガーアーモンドを製造する食品会社「Productos Bernat」(プロドゥクトス・ベルナ社)を設立しました。
ところがその4年後、大きな転機が訪れます。それはスペイン北部のアストゥリア州にある食品会社「グランハ・アストゥリアス社」の社長ドミンゴ・マサネット氏から当時経営難に陥っていた彼の会社の再生を依頼されたのです。2人が交わした契約は「グランハ・アストゥリアス社」を救い出すことができたら、収益と株の50%が与えられという条件でした。だがエンリケはわずか1年でその目的を達成し、ついにはその工場を買い取ります。そして1958年、エンリケが33歳の時に「グランハ・アストゥリアス社」の社長に就任しました。
棒付きキャンディのアイデアが生まれるまで
当時「グランハ・アストゥリアス社」はリンゴを原料にした約200種類の食品を生産していましたが、何か1つ目玉となる商品の開発を進めていました。この時エンリケは、キャンディの最大の消費者が子供だということ、子供はお菓子を手で口に入れたり出したりすることから、手を汚さずに食べられる“棒つきキャンディ”という商品を思いつきます。しかし当時の人々にとってそれは、キャンディをフォークで食べるようなものでした。エンリケは社内での理解が得られず、独断で「Chups」(チュップス)と名付けた新製品の開発に乗り出し特許を取得したのです。 |