高校教師と10年の交際を経て結婚、その後
1年で離婚。
レティシアが通ったマドリッドの高校 Instituto Ramiro de
Maeztu で文学を教えていた10歳年上の教師アロンソ・ゲレロ(Alonso Guerrerro)と10年間の交際を経て27歳の時に結婚するが、わずか1年で離婚。スペインでは結婚に際して、神の前で結婚する“教会婚”と、裁判所もしくは市役所で結婚する“民事婚”があり、どちらかを選んで行われる。ただしカトリックの教義では離婚を認めていないので、教会での結婚は一生涯に一度ということになる。今回、彼女にとって二度目の挙式を教会で行えるのは、前回の結婚が“民事婚”だったからである。彼女の離婚について、皇室のスポークスマンは「彼女の離婚は障害ではない。今日のスペインでは普通の事だ」と述べている。スペインの有力紙『El
Mundo』のアンケート調査によると、離婚について全体の9%の人が反対、67%の男性と84%の女性が賛成している。また賛成者の83.7%が「レティシアは優れたお妃になる」と確信しているようだ。
二人の出会いは、知人宅での夕食会だった。
2002年10月、報道番組『Documentos TV』のディレクターであるペドロ・エルキシア(Pedro
Erquicia)の自宅で開かれた夕食会。多くの招待客がいるなかで、静かに食事をとりながら戦争取材のエピソードを語っていたのはレティシアと皇太子だった。二人はすぐに意気投合し、最後は冗談を言い合うほどだった。それから一ヵ月後、「2002年アストゥリア皇太子授賞式」で取材する側される側として再会するが、この時まだフェリペ皇太子には、彼女に対する特別な感情は芽生えていなかった。
二人の交際が始まったのは2003年の春。最初のデートに選ばれたのはマドリッドのレストランだった。夏に二人で海外旅行を済ませた皇太子は、9月中旬、レティシアを国王夫妻に紹介している。フェリペ皇太子といえば2001年12月、サルスエラ宮に報道陣を集めて会見を行っている。恋人でノルウェイ人モデルのエバ・サンツと4年間の交際が終ったことを国民に告げたことは記憶に新しい。彼女がスペイン人でない事、両親が離婚している事、十分な教育を受けていない事などで何かとマスコミの批判を受けてきた。会見では「二人の決断で別々の道を歩むことを決めた」と語ったものの、世論や皇室周辺の圧力を受けていたことは否めない。だが今回の問題はレティシアの両親が離婚しているだけでなく、本人自身に離婚歴があることだ。ソフィア王妃の伝記を書いている作家でジャーナリストのピラール・ウルバーノ(Pilar
Urbano)によると、皇太子が国王に結婚の許可を請う時、彼女と結婚できないのなら王冠を捨てるつもりだと断言したと伝える。
デートの場所は外国や友人の別荘
二人の交際がそれまで一度も報じられなかったのは、マスコミの追跡を避けるため主に外国で逢っていたことや、親しい友人の別荘、バルセロナに住んでいる妹クリスティーナ王女の家を使っていたからである。しかし2003年10月31日金曜日、一週間最後の放送を終えた時、レティシアを待ち受けていたのは二人の交際を嗅ぎつけた一部の報道陣たち。一大スクープが報じられるギリギリの所まできていたのだ。この夜、皇室ではマスコミよりも先に婚約発表に踏み切る準備が急ピッチで進められた。
翌朝、レティシアはいつものように皇太子と週末を外国で過ごすため、朝6時に空港に向かう。早朝から大きなスーツケースを持って出かける彼女にマンションの管理人は、「こんなに早くから仕事に行くの?」と尋ねると、「今日は、大変なことが起こる所に行く」と答えたという。
突然の婚約発表、一転した人生。
11月1日はソフィア王妃65歳の誕生日。この日、スペイン国民が待ちに待った重大ニュースが皇室からマスコミ各社に伝えられた。「結婚相手は自分で探す」といい続けてきたフェリペ皇太子が遂に未来のお妃を手にしたのだ。相手の女性は貴族階級ではないものの、多くの国民に知られた女性。毎晩夕食の時間にニュースを読んでいた金髪で美しく知的な、あのレティシア・オルティスだった!
驚きと喜びに満ち溢れた国民がレティシアを目にしたのは、2日後の婚約会見の日。フェリペ皇太子と仲良く手をつないで現れた。会見の取材に来ている同僚や顔なじみのジャーナリストを前に堂々した口調で、この決断が十分かつ慎重に行われたこと、二人の間に確たる深い愛情があることから決めたのだ、と語る。この時からレティシア・オルティスは取材する側からされる側になっていた。先週まで出演していたニュース番組から彼女の姿は消え、TV局近くに購入したプール付きのマンションに2度と戻る日は来なかった。「私は若い頃から今31歳になるまでジャーナリストとして一生懸命仕事に尽くしてきました。これからも同じように夢と責任と使命感をもって、スペイン人のために貢献します」と述べると、これから新居となるサルスエラ宮内の皇太子宅邸に手をつないだまま戻って行ったのであった。
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